映画みんなの学校上映会報告

27日土曜日
念願の「みんなの学校」上映会を行うことができました。
お申込みは200名ありましたが、
コロナのこどもあり、当日はそれでも135名の方々が映画を見に来てくれました。

私自身も「みんなの学校」を見るのはこの上映会が初めて。
みなさんと一緒に会場で見る事が出来ました。
想像以上に良き映画でした。

私には、今でも忘れられない光景があります。
息子が中学1年生の時の事です。
発達障がいの中でも息子はASD(自閉症スペクトラムと読み書き障害があったと思われます)
当時は「軽度知的障害」という診断が一般的でした。

その息子が中学に適応できずにいることは予想ができたことでしたが
ある日、学校での様子を見ようと授業中こっそり見に行った時のことです。

体育の授業中でした。
跳び箱を2列になって順番に跳んでいたんだと思います。

「ナイス!」「うまいうまい!」「いいね。いいジャンプだったね」

大きな声で息子はクラスメートが飛ぶたびに拍手し声をかけていました。

ですが、まるで息子だけ別の空間にいるかのように
誰も息子の声掛けにこたえる子はいませんでした。
答えるどころか、息子のほうに目をやることもなく
そこに息子は存在していないかのようにスルーされていたのです。

体育の女性の先生は、息子をとても気遣ってくださっていると聞いていました。
実際、そうだったのだと思います。
それだけに、その先生の授業での様子がこれなのだと思うと
大変つらいものがありました。

息子は、そこで一人 空気の読めない声掛けを行うことを許されているのだと感じました。
クラスの子たちが悪いわけではなく、一生懸命、恥ずかしい声掛けを我慢してくれていたのでしょう。

「恥ずかしいからそんな風にいわないで」とも言われず
「おう!やったぜ」と目を合わせて相槌を打たれることもなく

一人空回りの声掛けと拍手を送り続ける息子の姿を私は今も忘れられずにいます。

「みんなの学校」のなかのセイちゃんのように
その空気を感じ続けていた学校にいけなくなったのは必然だったと思いました。

大空小学校のような、どんな子も大空の子という中で育った子供は幸せです
木村校長先生は、真に 公正を体現された先生だと思いました。

戦後、高度経済成長の頃からなのでしょうか
均一な品質を保てる日本の産業がもてはやされた時代からでしょうか

ふぞろいな物が排除され、みんな同じ、均一な品質が子供たちにも求められるようになったのでしょうか?

まがったきゅうりも美味しいのです。
自然は、まったく同じものばかりをつくりません。

大空小学校はまるで、自然の畑のように
自分らしくあって大丈夫と、先生方が一丸となって取り組まれていました

木村校長先生のリーダーシップの賜物と感服しました。

国は、文科省は、この映画をおおいに評価し理想としていたりもして、共感された校長先生もたくさんいらっしゃったはずです。

でも、10年たったいま
大空小学校はひろまっていません

ここ近年、中学の学習でも統計の学びが重要視されるようになりました
特別支援教育をめぐる話の中で、よく使われるのは

それをいやがる親御さんがいます
人権問題と問題視される保護者の方がたくさんいらっしゃいます
モンスターペアレントの問題があります

など、私たちの感覚とずれて「みんな」とか「たくさん」とかいう単位が使用されます
本当でしょうか?その「みんな」や「たくさん」はどれくらいの割合でしょうか?


正しいデータを取ることが大切だと思います
メディアや憶測や、小さな体験をもとにせず、
実態の正しい把握をお願いしたく思います

私たちもしていけたらいいなと思っています。

考えさせられることの多い、尊い記録映画だったと思います
これが記録映画とならず、いまではどこもが大空ですよという未来を願って
これからも活動していきたいなと思っております。

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