合理的配慮は合理的か?

昨日の塾終わり
桜井先生とこんな話しに

合理的配慮について

合理的配慮ってなかなかハードル高いですよね
そもそも、見た目ではわからないから
先生たちも難しいですね

なんで?
視力の弱い子は眼鏡かけてもしかられないじゃん
黒板の文字が見えないと前のほうの席にしてもらたりしない?
それって合理的配慮なんじゃないの?

いや、それは目に見えてわかりやすいじゃないですか?

そう?それは眼鏡が発明されたからじゃない?
視力を数値ではかれるしね
もし眼鏡がなくて、
どのくらい見えてるのかを把握できなかったら
視力がわるいことだって、わかりにくくない?
見えないってうそついてるかもしれないわけでしょう?

いや、そうじゃなくて
書けないとか読めないって
目に見えて判断しづらいじゃないですか?

そうだね。だからこそ
客観的に検査できるって事が
とても大切だと思うんだよ

なるほど

なんとなく、うちの子は
感じが読めないんですって
母親が言ったとしても
はいはいそうですかという訳にはいかないよね

でもそれをちゃんとした理論に基づいて
検査して数値化できたら
よりその子その子の状態を把握しやすくなる
そうでしょ?

確かに。そうですね。
具体的に困っている事や
その困り具合がわからないと
こちらもどうしたらいいのか
わからないですよね。

自分の努力でどうにもできない事かどうか

判断はそこだけじゃない?
と私はおもうんだよね
脳の機能の問題でできない事を
特別扱いできないとか、そういう風に
思う事自体が

アウト~~!!!!!

だと私は思うわけです

例えば、席替えのルールとして
となりが嫌いな子だった
仲良しの子がとなりじゃないからいや
など一切の理由を問わず
くじ引きで決まった席は変更しません!

ってなったとしてね。
すごーく体の小さい子が
体の大きい子の後ろの席になって
黒板がぜんぜんみえませんってなったら
その時に前に変えてほしいっていうのも
ルールだからだめってなるのかな?って
ことだと思うんだよね

まぁ、でもそれは
見てすぐわかることだから
ずるいとはなりませんよね

でしょ!それはさ、すぐに体格を変更するなんで
できないことがはっきりしてるから
みんな共通してわかってるからだよね

でも、脳の機能のせいで努力してもどうしても
書けないとか読めないだって、急に背を伸ばすのと
おなじように自分の自由にはならないし

治らないし。なおせない。

そしてわかりにくさを生んでいるのが
書けないとか読めないとかいうのに
ゲームとかはやれるじゃんとか
マンガは読んでるしストーリーも
わかってるじゃん

ていうわかりにくさだよね

補って少しでもできるようになった事が
かえってあだになるんだよね

でも人間は1か100じゃないから

できるかできないか
こんな風に白黒ついたら
そんなわかりやすい事はないけれど
そうはいかないんだよ



そもそも
今の中学校の仕組みでは
高校へ行くためには
何が何でも成績を
数字にしてつけないといけない

行きたいところに行っては
だめなんだろうか

行くのはいけるけど
卒業はむずかしいよ

行きたくていったのだから
しっかり勉強して
合格点がとれないと
何度でも留年しないとね

でいいと思うし
そうやって、夢に向かって
何度でも留年してでも
やり遂げたら
それはそれですばらしいし

そやって
留年だっておかしくない時代になれば
途中でやり直して
ちがう高校へいっても
いいんじゃないかな

私学がそれだと
経営的にこまるなら
そこはむしろ

公立高校がフォローしてもいい

大学だってその延長でいい

そのくらい大胆に
変革があってもいいのにな

どれだけの
才能のある子ども達が
たった15歳の時点で
振り落とされて
すくわれずに

自信をなくして
いきていかなければならないんだろう

本当にすくえないんだろうか

得意を生かして生きる

その為の合理的配慮を
受け入れられない社会の
本音はただただ

変わりたくないという力の作用
だけではないかと思う

あんなに進まなかった
テレワーク

家にいたらさぼるんじゃないか
仕事が進まないんじゃないか

セキュリティが
管理が…

コロナウィルスの流行で
そんな問題をぶっとばして
進んだじゃない?

問題や懸念が解消されたわけでもないのに

合理的配慮だってきっと
やろうと思えば
できる

いや、法律できまっているんだから
後は守ってもらうだけなんだ

そして何より
もっと知ってもらう事

そこから・・・

合理的とは…道理や論理にかなっているさま。


1.障害者の権利に関する条約における「合理的配慮」

(1)障害者の権利に関する条約「第二十四条 教育」においては、教育についての障害者の権利を認め、この権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現するため、障害者を包容する教育制度(inclusive education system)等を確保することとし、その権利の実現に当たり確保するものの一つとして、「個人に必要とされる合理的配慮が提供されること。」を位置付けている。

文部科学省HPより

(2)同条約「第二条 定義」においては、「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」と定義されている。

文部科学省HPより

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