ジャッジされるのはもっとずっと先

総裁選挙が終わって
新総理が誕生ですね

それに合わせて
ニュースでは7年8カ月の
安倍政権について

町ゆく人にインタビューをしていました

評価…

私は評価って
今今は出ないんじゃないかと
感じています

特に政治などの仕事の
評価がでるのはもっともっと
ずっと先の話だと思います

今その時国民にとっては
あまり喜ばしくない決断でも

年数がたった時
ああ、あの時の決断が
日本を救ったんだなとなる事も



逆にあの時あんな政策をとった為に
こんな事になったんだ

と言われることもあるでしょう

それだけに、舵取りをする
政府には信念をもって
やっていただきたいし

信頼できる政治家を
私たちは選択しなければ
いけないのだと思います

実は私が今している仕事も
まさに、結果はもっと先にしか
評価できない事だと感じています

先日のブログにも触れましたが

私の息子「たっくん」は
12歳の時に軽度知的障害だと
診断されました


それはもう20年も前の時代で
今のように発達障害という概念が
まだ一般的でない時代でした

その時の主治医の先生の
「お子さんは軽度知的障害です」

の判断はその時は正しかったのかもしれません


私もそれを受けて
子どもの為に良かれと思う事を
必死でやってきたつもりです

しかし、今になって
知的障害ではなく
ディスレクシアだったのではないか

と思える事実が沢山でてきました

もしその時ディスレクシアという
障がいがある事を知っていたら

いかようにもやりようがあったかも
しれません。

「たっくん」には
知的障がい者以外の人生があったのかも
しれません

20年たった今やっと
判断されることもあります

私はポジティブ思考の人なので
はじめは正直ショックもありましたが


今は、知的障害はなくても
発達障害とディスレクシアは
確かにあるので

結果として障がい者枠で
良き職場に巡り合い
このコロナ禍の世の中にあっても

ちゃんと働いてお給料をもらえて
大きな企業で社会保険や
福利厚生も手厚い中
働けている事を思えば


有難いかぎりです

また、その上
今、知的障害ではないかもしれないと
わかる機会を頂けたので

もし本当にそうなら
ディスレクシアのせいだったとしたなら

彼の不得意な学び方でなく
傾向に配慮した学びならば
知識を得ることができるかもしれない

と可能性を見出すことができました

なので、ダメ元で
「たっくん」には

私が今まで理解できないだろうと

あきらめてきた事を
彼の苦手を配慮して

認知しやすい方法をつかって
教えて行ってみようと思います

いまさら難しい数学の公式など
必要ありません

因数分解できなくても
平方根がわからずとも生きていけます

社会のルールや
ATMの使い方

お金のこと、税金の事

学ばずに来たことを
教えていこうと思います

理解できるようになれば
その分、私たち亡き後
彼をみてくれる家族の負担も減ることでしょう

同じように
私がしている活動の中で

子ども達の困っている中から
不自由を見つけたり
検査を勧めたりという事は

その子の未来にとって
良き事か、そうでないかは

もっともっとずっと先にしか
ジャッジされない事だと思っています

今は良いと思ったことも
のちのち違う結果があるかもしれない

行動に責任はもつけれど
いつまでフォローできるかも
先のことはわかりませんね

でも、だからこそ
他人の評価を頼ってはいけないと
そこは覚悟をしています

自分が自分の経験からも
それで良いと信じることを
続けていくのみです

どんな結果も受け入れて
その時自分は自分の中の最善を尽くしていたか

それを基準に進んでいこうと思います

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