間違えたことは「怒る」対象でしょうか?
昨日のブログに
ミステリという勿れのファンであることを
お話しした塾長ですが
その第2話に
「どう怒っていいいかわからない人は
何が正しいかもわからない人」
というセリフがありました
ひっかかっちゃいました
あぁ。
そうか。そういうことか。
何が正しいかもわからない
っていうのは
非常識とかそういうことじゃなくて
自分の中で
これだけはという
基準・・・みたいなもの
これがよくわかっていないので
ここは怒るところ
とう判断ができないってことだと思うのです
あぁ。確かにそうかもなぁ。
実は私も思い当たるところがあって
あ、正確に言うとちょっと違いますが
なんだろう。
「怒る」
という言葉がピンとこないというか
「困る」とか「嫌だ」
とかいう気持ちはあるんです。
でも、「怒る」・・・
「怒る」ってなんだろうって
なっちゃうんですよね
例えば昔いた塾の先生
とてもいい方なんです
お話ししててもいい人だなって感じました
ある時、英語のテストで
ピリオドをつけていない子がいて
「どうしてピリオドつけないの!!!?
何度も言ってるよね。いっつも書いてない!」
と「怒っている」んです
私はそれをとても不思議に思って
しまったのです
ピリオドを付けなくて間違えた子は
付けなかった事で〇をもらえないから
点数が下がります
でも、それでどうして
塾の先生から怒られなきゃいけないんだろうって
子供たちもよく、勉強しなくて叱られる
テストの点数が悪くて叱られる
といいますが、私自身は
子供のテストの点数が悪くて
怒れたことは一度もないんです
こんな人が塾の塾長してていいのかな・・・(苦笑)
「悔しい」や「悲しい」
「情けない」や「しまったな」は
わかるけれど私の「怒る」基準に
学習に関して、やらなかったことへの
「怒る」はあるかもしれませんが
やれなかったことに対して
「怒る」という選択肢はない
と思っています。
やったけれど、成し遂げられなかったときは
どうしたらできるのかを
一緒になってかんがえるだけなんじゃないかと
そのために私たちはいるんじゃないかな。
自閉症の作家
東田直樹さん
私もわからなかった
当事者のこころが垣間見えます
つらかったのは、他人の思い込み
できないだろう
理解していないだろう
言えていないから伝わっていないだけの
あれやこれやがどれだけもどかしいだろう
と想像します
出力することは難しくて
大変なことだと、人はあまり意識できていません
同じ間違いをいつも繰り返すとき
「怒る」のではなくて
どうしてなんだろう?と
関心を寄せ
観察することが先生の仕事と心得ています
ささいなことかもしれないけれど
その些細なことが
子供の心にひびくこともあると思うのです
学ぶこと、知ることは
本来子供たちにとって
楽しいことのはずだから
学習塾エンカレッジ桃花台
プログラミングコースも学習塾も、
一人ひとりのお子さんの
特性を理解できる場所でありたいと思って
日々向き合っています。