15年目の美しい🌸桜
春先は苦手です。寒暖差や黄砂。アレルギーはありませんがそれでも体調を崩しやすいこの時期は苦手です。みなさんはどうですか?年を取ると春よりも秋が好きになる、なんて言いますが私もその口です。パステルカラーの華やかな春、新しいことが始まる春。若いころはうきうきするしかない季節、春。でも、私はある年を境に春がとても嫌いになりました。特に桜が苦手になりました。もうすぐ桜がさくころのつぼみの膨らんだ赤みを帯びた桜をみかけると、毎年いやぁな気持ちになったものです。春というだけではしゃいでいる町の雰囲気と、萌え出る植物と生暖かい空気。気まぐれに乱高下する気温。なにもかもが嫌いでした。
軽度知的障害で自閉症スペクトラムの息子が、半年間の就職支援センターを卒業し就職した年の6月。急に感情のコントロールが効かなくなりました。自分の意志にはんして涙がでるし、気落ちして起き上がることさえできなくなりました。かかりつけの内科の先生のところへいくと、それは鬱だからと精神科を紹介してもらいました。息子は中学の2年間不登校を続け、3年生の1年間は特別支援学級でお世話になりました。卒業後はNHK学園高校で通信で学んでいましたが、さすがに学習内容が難しく1年でリタイア。その後半年ほど家にいましたが、働くことも学んでほしいと、息子と二人で郵便局のお中元とお歳暮の配達のアルバイトをしたりしました。しかし、母子だけでできる事の限界を感じ何としても就職をしてもらわなければと探しまわって見つけたのが就職支援センターでした。その就職支援センターにいっている間、息子のストレスは相当でした。毎日納得いくまで聞く代わりに明日も支援センターへ通うこと、そう決めて息子のいつ終わるかわからない愚痴を延々と聞きました。毎日です。自閉症傾向の強い息子は新しい環境が苦手です。就職した後も同じように愚痴を聞き続ける日々が始まることを覚悟していました。ところが幸運にも息子は初めて就職した職場に適応し毎日楽しく通ってくれました。何も不都合はないはずなのに、私の精神は壊れていきました。7月か、8月か思い出せませんが私は入院するまでにひどくなっていきました。息子の就職はよい方向に向かっていたのに。いえ、そうだったからこそ、燃え尽きてしまったように壊れてしまったのだと思います。
私が病気になる少し前、私はおかしくなる前兆を感じてはいました。その頃がちょうど桜の咲き始めるころだったせいかその年から春になると気分が憂鬱になりました。特に咲き誇る桜はそのころを思い出し、またあのツライ日々に逆戻りするようでとてもとても苦手だったのだけれど、今年雨に濡れながらも咲き誇る桜を見て自然に「きれいだなぁ」とつぶやいている自分がいました。あぁ、やっと桜が綺麗と思える自分になれたんだなぁと感じました。
15年もかかったんだなぁと自分でも驚きます。
ここ二、三年は、春でも浮かれた気分に誰もがなれませんでしたね。コロナで町はにぎわうことはなく静かでしたね。そんなことも影響したのでしょうか。よくわかりませんが、許せたのかもしれません。あの頃、私はうらやましかったのかもしれない。春を楽しいとはしゃいでいる人たちが。息子が中学を卒業するとき、もう誰も息子に関わってくれる人がいないんだと、息子の居場所が家にしかないんだと思うとどうしていいかわかりませんでした。周りの人たちの無邪気に、能天気に、ただただ春がきただけなのに浮かれているのがうらやましくて、腹立たしかった。動物も、花も、草もみんなはしゃいで楽しげで、自分だけがツライように思えて。
私は、どうしたらいいのか教えてほしかった。助けてほしかった。手を差し伸べてほしかった。春の浮かれた思いを結晶にしたような桜が嫌いになって以来はじめて、やっと綺麗と思えた自分を今日は褒めてあげようと思います。時間がかかったなぁ。
今、エンカレッジでいろんなお子さん達とかかわれているのは息子がいてくれたからです。その子たちの苦しみは息子の抱えてきた苦しみの道の上にあったものだから。たくさんのヒントを息子が教えてくれているのです。良いことも、つらいこともあるのが人生。どんなことも、今バットアイテムだったとしても、未来にはラッキーアイテムになることがある。きっとある。起きた出来事も、咲き誇る桜も、その意味を決めるのは人だから。美しいと思える日がくるから、あきらめず向き合っていきましょう。
私たちが桜を見上げているこの時に、ウクライナでは空襲警報とともに、空から爆弾が降ってきています。
一日も早く、花を見上げ、空を見上げ歌ったり踊ったり、手をつないだりして心から笑いあえる日がきますように。
一日も早く戦争が終わりますように。