転ぶ子を木の上に立って見る勇気
大河ドラマ『麒麟がくる』は
久しぶりに日曜毎に
楽しみにしています
今日は若き家康が
母からの文を見て
今川から織田へ
寝返る決意を固めるシーン
16年も会う事叶わず
道ですれ違ってもあなたをわからぬ
愚かな母ですが
そなたが戦で命を落としたと聞けば
きっと夜も昼もなく泣きはらす事でしょう
母は寝返れとは言わず
あなたに命を落としてほしくない
あなたと平穏にくらしたい
と伝えるのです
文を読み、家康が涙を流す
感動の名シーン
ですが、
いつの世も子にとっての
母の影響の大きさに
複雑な思いで見ました
刀を振り回して戦う
戦国時代の親子関係を
平和が当たり前の現代と
そのまま比べるわけにはいきませんが
子の判断、子の行動を
母は知らない間に操っている
その事を自覚している親は
あんがい少ないものです
我が子はなるべく
失敗しないでほしい
それは親心ですが
少子化の進む昨今では
ひそかに思っているに留まらず
その思いが子をしばっている
そんなケースも増えています
そういう私自身が
典型的なケースでした
何度もブログに登場する
発達障害と軽度知的障害をもつ
長男の「たっくん」の下に
娘がいます
今はもう遠くに嫁いで
ふたりの子供をもつ
母となっています
障害を持つ兄弟のいる
子供の苦悩も大変でした
長男は不登校でした
お兄ちゃんが家にいるのに
自分は学校へ通わなければならない
いろんな思いがあったでしょう
一方私は、何をするにも
思うに任せない長男にかかり切り
十分に娘の気持ちに
寄り添えないくせに
思うようになる唯一の子供に
こうなって欲しい気持ちを
知らず知らずに押し付けて
娘をコントロールしていました
私はその事に気が付かず
子を理解する母と信じて疑わず
娘も息苦しさの正体をつかめずに
苦しんでいました
「母がしんどい」という
マンガに出会って
出逢いは必然だと思うのです
読んだときは衝撃でした
私をずっと観察してきた人が
これをかいたんじゃないか
と疑うほど、私そっくりの
こまった母だったのです
娘が就職した時
その職場の上司の女性が
娘に気づきの言葉をかけてくださって
苦しさの原因に気づき始めた時
この本に私がであっていたのです
この時から娘の親離れが
始まったように思います
母のこうあって欲しいを
一心に背負いつづけ
自分の人生を母に乗っ取られるように
ゆるやかに方向付けされた娘は
母からの手紙を読んだ時の
家康とおなじでした
戦にいくな、寝返りなされ
と言わず、
母は悲しいと伝える事で
家康に自から行動することを
促すやり方は
コントロールに他ならない
そして言うのです
「あなたが決めた事でしょう?」
あなたのやりたい事には
なんでも協力するよ
と理解ある母だと信じて疑わず
子の為に尽くしてきたと思っていました
私が示したその道はきっと
目標への最短距離かもしれない
平らで歩きやすく
転ぶことのない
失敗しない、失敗の少ない
道かもしれない
でも、本当は
本当に応援するという事は
転ぶ姿を遠くから
だまって見ている事のできる
勇気を持つ事
子供がもうどうしても
先が見えなくなった時
振り返ってみたとき
遠くからいつも
信じてみていていくれる
木の上に立って見ているのが
『親』の役割なんだなぁ
私が気づいたのはもう
娘がとうに大人になってからでした
今、その娘が子供を育てています
孫娘の話をするなかで
娘が何気なくこんな言葉をつぶやきました
「私の役目は知らない事を教え
できない事を手伝うだけだから」
はっとさせられました
知らない事は成長と共に
どんどん減っていき
できない事も減っていくでしょう
親の役目の終わりがあることを
わかっているようなこの言葉に
あらためてこの子を
縛ってきた自分を恥ますが
もしもその経験が活かされて
孫たちが健やかに育つのだとすれば
私の過ちも意味があったのかなぁ
無駄ではなかったのかなぁと
自問自答はこれからも
ずっと続いていくのでしょうねぇ
いっぱい飲むか!
ファミマの杏仁シェーク・・・・
美味しんだよねぇこれが!
全ては必然であり
今のままでいいんじゃないですか
うちは娘一人ですが
30過ぎても
まだ、独り身です
お孫さんがいる事は
たいへん
うらやましく感じます
でも、
幾つに成っても
こどもはこども
親はいつでも
手を差し伸ばしてあげるよ
という
気持ちはわかっていると
おもいますよ
コメントありがとうございます
お気遣いいただいて嬉しかったです。
そうですね。わかってくれていると思います。
間違っていたとしても
一生懸命生きてきたことなので
反省はありますが
悔いはありません
子供たちには良き人生を送って欲しいとだけ
思っています。