どうして彼は生きる事ができなかったのか

悲しすぎる事件

その自治会では
班長をくじ引きで選ぶそうです

知的・精神障害のある男性(36)が
自分の障がいを理由に

選考からはずしてもらえるよう
頼んだのですが

「特別扱いはできない」
と聞き入れられなかったのです

そこで、役員らは男性と話し合い

障がいがあることや
日常生活についてなど

下の写真の内容を記載させ

町内会のみなさんにそれを提示すると
男性に説明したそうです

書かされた手紙

翌日男性は命を絶ちました

詳しくはこちらから記事をみてください
「おかねのけいさんできません」男性自殺 自治会が強要  毎日新聞

自治会の目的

そもそも「自治会」とは
なんなんだろう

なんの為にあるのだろう

自治会とは,一定の区域を単位として,

その地域に住む住民同士が

助け合い協力しあって,

住みよい地域社会を創っていくためのもの

これが自治会の目的

ですが、いつしかその目的は
忘れ去られて

今回のような悲しい事件が
起きてしまったのだと思います

この記事、たまたま私は
知る事になったのですが

どうしても心から離れず
自分の心の整理をするためにも

ブログに書きたいなと思った次第です

この手紙を読むたびに
心が締め付けられるようで
涙が出ます

我が家にも同じような障害をもち
同じような年齢の息子がいます

昨日のブログで
入社式という晴れがましい席で

緊張して写真に写る姿に目を細めながらも
この記事が頭に浮かんできていました

親無き後、息子を守る人はそばにはおらず

自分のところに起きないともいえない
そんな出来事として
どうしても引っかかってしまうのです

「例外は認められない」

正義警察など
昨今、正義の名のもとに行われる

理不尽な制裁が話題になっています

この事件、役員の人達は
どこを向いていたのでしょうか

役員の正しい選出…でしょうか?

くじ引きの公正性でしょうか?

正しいという言葉の見る方向を
間違えると悲劇は起きます

もともと、そこに暮らす人々が
暮らしやすい地域を作るために

組織された自治会が
いつの間にか目的をはずれ

役員などやりたくない人たちの集まりの中で
そのみんなが嫌だと思っている役員、班長を

公平に正しく選ぶためにできた
くじ引きを、だたしく執り行う事が

目的になってしまっていたのでしょう

そこには、住みやすい地域を作る為という
目的に目をむけた人がいなかった

だから、男性が亡くなった今も
自分たちは正しかったと
言い続けるのだと思います

少しの想像力をもって
その手紙を書く事の意味を
考えてみてほしかった

あなたが、あなたの子どもさん
お孫さんが目の前で
同じことをさせられていたら

どう感じますか?

私の息子「たっくん」も
前の会社で似たような事がありました

発達障害の感覚過敏から
どうしても生理的に扱えないものがありました

それは、会社にも申し入れて
認められていた事柄でした

その為、息子はある仕事については
免除してもらえていました

ところが、一緒に働く女性社員が
「これは仕事なんだから、苦手を通すのはわがまま」

「もし、やれないなら、みんなの前で
 僕はこれこれができませんといって謝罪しなきゃだめ」

と迫ったのです

「たっくん」はそれから、毎日おびえながら
会社に通うようになりました

その女性社員は同僚で
命令できる立場にはない人でした

それでも、息子にしたら
自分の非を、たくさんの人の前でばらされ
みんなから非難の目で見られる日がくる

と帰ってきてからも
会社に行く時もおびえ続けていました

不公平

そこにあったのは
不公平はゆるせないという

その方の正義…だったのかもしれません

でも、私は不公平とは思いません

では、目の見えない方に
色を見分ける仕事をしろと言うでしょうか?

足の不自由な方に
みんなと同じように階段をのぼらなければ
謝れというでしょうか?

その方がエレベーターを利用するのは
不公平でしょうか?

目に見えるものには理解ができても
内部障がいを抱える人たちへの
理解はなかなかしてもらえいない

違いをわかってもらえないのです

努力してもどうしてもできない事は
どんな人でも同じように配慮されていいと思う

その配慮の方法は千差万別で
それこそ、障害のあるなしにかかわらず

みんなが思いやって生きる社会
それこそが多様性を認める社会だと思うのです

こんな思いがあったので
昨日のブログの後半

平等についての記述をしました

わかりにくかったと思いますが
昨日もこの事を書こうか書かまいか

迷いにまよってあんな形になりました

辛いと思う事は
一人ひとり違っていいと思います

それは多数決ではきまらない

障がいを持つ人は少数派かもしれないけれど

生きている人々はみな
それぞれの考え方、
それぞれの生き方の中で

できる事をし、
できない事を補い合って

許しあって支えあって
共に生きていけるような

そういう世界になって欲しい

けいさんができなければ
計算できる人がすればいい
だって、自分たちの地域を住みよくする為の
役割なんだから

みせしめの代償がなければ
受け入れられない人達ばかりの
自治会ならば
やめてしまえばいい

そもそも、その手紙を
書かせることができる時点で

あなた達の心のなかに
その人を下に見ている心が隠されていることに

気が付いてください

あなた達が彼はつらそうに見えなかった
と主張しても

死ぬより辛い現実だったから
命を絶たねばならなかった事は

事実なのだから

せめて、申し訳なかったと
冥福を祈ってあげてください

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