父の命日の今日…改めて感謝を

先日東名高速道路で
トラック2台の横転事故で
通行止めにあったエピソードは
ブログに書いた通りでしたが

岡崎のお得意先に向かう途中でした
実は、なぜかこの
岡崎のお得意先に向かうときは
いろーーーんな事が起きるのです



一昨年からのお付き合いなのですが
初めはスタッフの交通事故
次は父の危篤

もう、電話するのが
辛かったなぁ・・・



下手な言い訳みたいな
出来事ばかりが次から次へと起こって

お約束の日に行けない事ばかり起きて

そして、父の危篤もひと段落し
「もう、お別れは十分しました
 仕事にならないので、伺います!」

行くしかない!

と宣言して改めてアポをとって頂いた矢先に
父が亡くなったのです


娘と絶対信じてもらえないねぇと。
でも、うそのような本当だから仕方ない

一昨年の今日
静かに病院で息を引き取った父

57歳の時
脳梗塞で倒れました
12月の暮れも押し迫った晦日に
救急車で運ばれ病院でお正月を迎えました



その年の17日
阪神淡路大震災が起きました



20年以上も半身不随のまま過ごしました

父も大変でしたが
母も大変でした

うちは喫茶店を営んでいたので



父が倒れてからは
店をしばらく閉店していたので

今のコロナ自粛ではありませんが
もう、売上は0です

しばらくして母が一人で店を開けましたが

入院している父のところへも行き


家の面倒も見ながらは
さすがに厳しく、店はほどなく閉店しました

まぁ、それからも色々ありましたが

病気の父をかかえ
急に収入もなくした母は
それでもめげずに、パート勤めから始まり



縫製の内職をはじめて
働き続けました



父を抱えながら働くのが厳しいので
途中から妹夫婦と同居するために
二世帯住宅を建てたので

60過ぎてから多額の借金を背負って



父の入院費、施設利用料
自分たちの生活費、税金など



すべて支払う為に働きどおしでした

70になるころには、借金も払い終えるという
なんとも、すごいおばあちゃんです




私は母とはずっと仲良くできず
兄弟の中でも一番嫌われていたと思います

今はそんなわだかまりもありませんが


ずっと、さみしい思いをしてきまた

でも、自分が50過ぎに起業し

働くようになって、初めて本当に
心の底から、すごい人だなぁと
素直に感心し、尊敬します



今でも結構無理をしてしんどいのに
60過ぎてから、毎日朝から晩まで
土曜も日曜もなく働き続けて


私たちは今日まで
だた、ただ子供でいる事ができました

そんな母から教えてもらった
言葉たちは、今の私の支えとなっています

一を聞いて十を悟れ
お金のなる木は根気の木だよ
働く(はたらく)っていうのは、
 はた(まわりの人)をらく(楽)にする事


男勝りで気が強く
なんでもやって稼いでくる母


今年からやっと
縫製の仕事からも引退し

毎日スカパーの時代劇チャンネルを
楽しみに過ごしています



今日、命日にお花をもって
訪ねてきました

「まぁ、しばらく遊んで暮らしてもいいよなぁ」

75歳まで、毎月私より沢山稼いで
がんばってきたんだもの



父を見送ってやっと

自分だけくらせるだけあればいい生活を
気が楽な生活ができるのだから

どうか ゆっくりと体を休めて
のんびり暮らしてください

そんな時にあなたと同じように
働くばかりで、親孝行もできずに
ごめんね。お母さん

ありがとうね。お母さん

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