あきらめて欲しくない事
どんなに、力になりたいと思っても叶わない事もあることはわかっています。
あきらめると決めてしまった子、家族を前にすると、自分には何の力もない・・・そんな無力感でいっぱいになります。
「読めない」とか「書けない」とかにはいろんな理由があって、一概に同じ理由でくくれないことは以前にも書きました。
サポートがあれば、もう少し時間をかければ、ちゃんと学ぶ力がある子たちを学校制度という壁が邪魔をします。
長い、長い人生をこんな3年間だけで決められて欲しくないと思います。
いつも立ちはだかるのが「平等」という言葉
あまりにも有名ですが、合理的配慮の考え方では「平等」ではなく「公正」を目指します。
左から「配慮のない状態」➡「平等」➡「公正」➡「環境の整備」
合理的配慮はこの「公正」な状態を作るためにお願いをしているわけです。
ところが、これがどうしても伝わりません。
■楽をしようとしている
■都合のいい事を言っている
■特別扱いはできません
■そんな子は沢山います
ともすると、保護者の方も迷ってしまわれることがあります。それほど、中学生とその家族にとって学校は特別な存在なんです。
そして、「テスト」と「内申点」に翻弄されてしまうのです。
みんなの中にある、正義感や道徳心のようなものがきっとささやくんでしょうね。
努力もしないで勘弁してほしいなんて虫がよすぎる
苦手を克服してこそ人の成長がある
人間てなんでもできる人が「正しい」わけじゃないはずだと、塾長は思うのです。
人間はおろかだし、間違うし、失敗もするし。
できない事なんて、山ほどあるし。
できる事と、できない事があっていいんじゃないだろうか。
大人がそれを許さないと、人をゆるせない子供たちが育って、できない子を攻撃しだします。
配慮をうけて頑張ろうとする子を、からかったり、揶揄したりして妨害することもあります。
書けないことは、そこまで罪な事でしょうか。
分身の術がつかえたら、中学生になって助けに行きたいくらいの苦々しい思いを、どうすることもできず情けなく思います。
どうしたら、かえられるのでしょう。
今日は愚痴ブログになってしまいました。すみません。