受け入れて生きる。それは障がいがあるかないかに関係ないと思う

お休みになると
何を書いていいか
わからなくなりますね

お盆は亡くなった人の
魂がかえってくると言われています



帰ってきて見る
こじつけですがかえりみる

ということで
今日は少し今までの
たっくんとの歴史を
顧みてみます

軽度知的障害と
広汎性発達障害を併せ持つ
我が家の長男「たっくん」が

判定をうけたのは
小学六年生の秋でした

中学時代は暗黒の時代でした

先日、娘が小学校の時
大変お世話になった先生と
お話させていただく機会があったので

その頃のお話を思い出しながら
していたら、改めて悔しくて
涙がこぼれそうになりました

「たっくん」はぎりぎりのライン
境界値のこどもで、

成績の悪いふつうの子とも
とれなくはない感じでした

小学校の時の先生に
大丈夫でしょうか?と何度も聞きましたが

「お母さん、たっくんは普通のお子さんですよ」

と言われたことも何度もありました

なのに、判定を受けたとたん
健常の子たちとは区別され

このサービスは健常の子たちのもの
障がいの子がくると
次から次へと障がいの子が利用するようになる

だからきてはいけませんと
利用を断られるサービスもありました

また、普通教室にいる事も
よろしくなかったらしく

特別支援学級を進められました
「たっくん」の通っていた
中学には支援学級がなかったので

他校に見学に連れて行ってもらいまいした

先生の運転で連れて行ってもらったのですが
帰りの車の中で言われた言葉は
15年たった今でも耳に残って離れません

『お母さんにも見栄があるとは思います
 でもね、「たっくん」は
 あーゆー子たちの中ではましな方です
 あーゆー子はあーゆー子達同士
 一緒にいるのが幸せなんですよ
 あーゆー子たちの中で上にたって
 いい気持ちで過ごせたら
 「たっくん」だって気持ちがいいんです」

全てがこの言葉に集約されていました

「たっくん」には
何度も何度も

「どうして俺は生まれてきたの?」

「俺なんかみんなに迷惑かけるだけだ」

「好きで障がいで生まれてきたんじゃない」

と言わせてしまいました

そして、いつもこういうのです

「お母さん、オレがこんなでごめんね」と

何も申し訳ないなんて
思う事はないのに・・・

平等という言葉がありますが
特別学級でお世話になっている時も

こんな事をいう方もいました

「特別支援学級の子はずるいよね
 私達同じように税金を納めているのに
 支援学級の子たちは3人で先生を一人
 独占してるんだから。私達の子は
 10倍以上の子に一人の先生なんだから」と

一年生の秋

体育大会ではクラス対抗の
マスゲームの練習が始まっていました

「たっくん」はみんなのように
複雑な振り付けを上手に覚えられません



クラスの子がきつく言うのが怖いと
学校へ行けなくなりました

先生に相談にいったら
やれない事を厳しくいうのは
しかたないと先生がおっしゃいました

私はマスゲームはチームワークを
育てる教育の一環では?
そこで、いじめのような指導があるのは
おかしいと思う。目的が違っていないか

私なら、できない子がいたら
みんなで励ましできるように
応援する子供たちになるよう指導する

相手の子が学校にこれなくなるほど
指導している子をむしろ注意すると思う

とお伝えすると
先生はこうおっしゃいました

「お母さん、13歳やそこらの子が
 そんな思いやりのある行動はとれませんよ」

ああ、相いれないのだなと思ったので

わかりました。では、ウチの子の踊りは
どうか審査にいれないでやってください

審査員の先生方に、事情をお話いただいて
橋本は障害があるため、覚えきれないので
間違えていても、クラスの審査とは分けて
審査してほしい

と伝えました

先生方からは、それなら
そのことを学年全員に通達して
納得してもらわないとそれはできない

とのお返事でした

なんとも納得のいかない
苦渋の想いで帰ってきて

同じ中学に通うお母さんに
この話をしたところ

思ってもみない返事が返ってきました

「それは…橋本さん、
 私でもいいって言ってあげられないわ
 だって、体育大会はすべての競技が
 内申点にかかわってくるんだから
 受験に響くんだから       」

私は この言葉を聞いた時
この中学校とはかかわらないと決めました

娘はこの学校へは
通わせないと決めました

他にもたくさん、戦いの記録はあります

今なら時効で話しても
よいかもしれませんが

ひどい話の連続でした

その頃は、たしかに
障がい者と健常者には
明確な区別があり

その区別は差別となって
子供たちの中に種をまき



何かを育ててしまっていました

今、発達障害という言葉は
とてもポピュラーとなり

知的に劣っていない
普通の子供たちにもその
困りごとはおきる事もわかってきました

障害という文字がついていますが

発達障害は程度の問題で
苦手といわれる分野は
だれにでもあるものです

ですから、多様性を認める
この21世紀の今にあっては

自分のできない事
それが例え「障がい」と定義される事であっても

それを受け入れて生きる

それが大切だと思います

みんなちがって、みんないい

金子みすゞさんがうたった詩のように

障がいがあるなしに関係なく
みんなが、あるがままの自分を
そのまま受け入れて

自分に自信をもって
生きてほしいと願います

人がなんと言おうともいい

日本人はもっと自分をもって
生きていいと思います

お盆休みが終わると
「たっくん」の野菜作りは

土つくりから、ゆっくり
はじまっていくようです

炎天下のビニールハウスは
きっとすごく暑いから

体に気を付けて
がんばってきてな

秋におししい野菜を
母ちゃん楽しみにしてるから

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA