合理的配慮の壁をこえて

読み書きの困難のある塾生の
学校への合理的配慮が
少しずつ進んでいます

今3例目です

合理的配慮

なんて難しそうな
名前がついていますが

そんな大変な事を
お願いしてはいないと思うんです

これを難しくしているのが

子ども達の多くが
ディスレクシア(読み書き障がい)

だけでなく、複合的
発達障害などをもっている事

その事がすご~~く
物事を複雑で
わかりにくくしています

でも、これ
仕方ない

それだけ人間の脳が
複雑にできている

という事だと思います

そして、逆に
人間はそういう複雑で
デリケートにできているので

何か一つの規格に
ばっちりはまってゆるぎない

そんな状態のほうが
気持ち悪いし
ありえない

みんな一人ひとり
どこかしら仕様が違っていてこそ

人間なんだから

日本の高校までの学校生活では
とくに「書けない」「書く事が遅い」

これは致命傷です
知識があっても、理解していても
テストに「書き出す」作業が
できないと評価されないんです

評価されないと
内申点が付かない

内申点がその子の
進路を決めますね

そして、どこの自治体でも
とはわかりませんが、

少なくとも小牧市や春日井市では
学校でワークの課題が出され

テスト前に提出します

そのワークの提出状況は
かなり内申点に影響します

我が家の息子「たっくん」は
小学生の頃
計算ドリル1ページ20問の
問題をノートに書き写すのに
2時間以上かかりました

見ては書きうつし、見ては書きうつす
それだけで2時間です

計算はその後の話です

ふざけてなんていません
毎日一生懸命でした

下の娘は
「あ、忘れてた!」と
朝学校に行く直前に思い出し



ササっと15分程度で
終わらせて学校へ行ったりしてました

どちらが真面目か?と
聞かれたら間違いなく「たっくん」です

前日に宿題をやろうとし
明日の時間割をそろえ
学校へ向かう子でした

それでも学校の評価は結果が大切
低いものでした

当時は学習障害と言われる
障害への理解や研究が進んでおらず

「たっくん」は
知的障害と診断されました

ですが、この症状は
書字障がい だったと
今 やっとわかります

鶏と卵のどちらが先かに
とても似ていますが

先生方からすると

やらない ➡ できない

が一般的だと思いますが

できない ➡ やらなくなる

この方向が少なからず
ある事をどうかご理解いただけたら

と心から思うのです

ある子の先生は

合理的配慮をお願いしたいとの話し合いで
その子の教室での態度や
普段の行いが良くない事を指摘され

その態度を改めもしないのに
こっちだけ、色々配慮してくれ
なんて聞けるわけがない

そちらがまず
態度を改め頑張るなら
配慮を考えてもいい

と発言されました

でもこれは
極端にいえばですが

車いすの生徒さんが
生活態度が同じように悪かったとして

エレベーターの使用を求めた時

態度が悪いのに
エレベーターまで使わせろっていうの?

まずは君が態度を改めてからだ
それまでは階段上りなさい


と言っているような物

そんな意地悪をいう先生は
いないと思います

内部障がいは
目に見えないので
人にわかりづらい

困り感を理解してもらいにくい

合理的配慮を阻むのは
合理的でない無理解がもたらしている
そんな気がしてなりません

私は30年以上
「たっくん」の母親でしたが
ダメ親で、知識がなく

彼を、彼の人生を
今日まで間違い続けて
導いてきてしまったかもしれません

一生懸命、いろいろな情報を
得ようとして本も読むし
勉強会にも出かけていき
専門家の先生にも直接質問もします

ですが、まだまだ
本当の正しい知識や
いろいろな症例を知りません

もっと知りたいと願っています

ですが、先生方の中には
「私なりに知っております
 本などで勉強もしていますし
 何より、今までにも
 そういう、発達障害やLD(学習障害)
 といわれるお子さんにも
 指導してきましたから」

と言い切られる人もいます

そういう先生の口から
間違った対応、間違った見解
聞くことが多いのも事実です

確かに子供をみていらした経験
指導して見えたご経験は
その通りで、私たち親には
まねできませんが

私はまだ知らないかもしれない

という気持ちもどこかで
もっていて頂けたらいいなぁと
願っています

昨日、態度を改めないと
配慮なんかできないといわれた
お子さんが、塾に来て

「今日ね、その先生がね
 最近ちゃんとがんばってるねってほめてくれたんだよ」

と教えてくれました
「お~!そりゃよかったね!やったじゃん」

と返すと
ニコッと笑っていました

学校や学校の先生は
やはり子供には特別

塾の先生にはたちうちできない存在です

学校で褒められる =
そこに居場所を感じる事ができる

かけがえのない存在なんですね

一番の配慮は
特別な事ではなくて

先生が
「あぁ、この子はみえない不自由さと
 戦いながらがんばっているんだな」

心の中で認めてくれる事そのものです

ありのままに見て下さり
その上で、

「こら~~~!!学校でガムかむなぁ!!」


と叱ってやってくだされば
それは昨日までとは

まったく違ってくるのです

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