間違えたことは「怒る」対象でしょうか?
昨日のブログに
ミステリという勿れのファンであることを
お話しした塾長ですが
その第2話に
「どう怒っていいいかわからない人は
何が正しいかもわからない人」
というセリフがありました
ひっかかっちゃいました
あぁ。
そうか。そういうことか。
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何が正しいかもわからない
っていうのは
非常識とかそういうことじゃなくて
自分の中で
これだけはという
基準・・・みたいなもの
これがよくわかっていないので
ここは怒るところ
とう判断ができないってことだと思うのです
あぁ。確かにそうかもなぁ。
実は私も思い当たるところがあって
あ、正確に言うとちょっと違いますが
なんだろう。
「怒る」
という言葉がピンとこないというか
「困る」とか「嫌だ」
とかいう気持ちはあるんです。
でも、「怒る」・・・
「怒る」ってなんだろうって
なっちゃうんですよね
例えば昔いた塾の先生
とてもいい方なんです
お話ししててもいい人だなって感じました
ある時、英語のテストで
ピリオドをつけていない子がいて
「どうしてピリオドつけないの!!!?
何度も言ってるよね。いっつも書いてない!」
と「怒っている」んです
![](https://encourage-toukadai.com/wp/wp-content/uploads/2022/01/22128974_s.jpg)
私はそれをとても不思議に思って
しまったのです
ピリオドを付けなくて間違えた子は
付けなかった事で〇をもらえないから
点数が下がります
でも、それでどうして
塾の先生から怒られなきゃいけないんだろうって
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子供たちもよく、勉強しなくて叱られる
テストの点数が悪くて叱られる
といいますが、私自身は
子供のテストの点数が悪くて
怒れたことは一度もないんです
![](https://encourage-toukadai.com/wp/wp-content/uploads/2022/01/096522-768x1024.png)
こんな人が塾の塾長してていいのかな・・・(苦笑)
「悔しい」や「悲しい」
「情けない」や「しまったな」は
わかるけれど私の「怒る」基準に
学習に関して、やらなかったことへの
「怒る」はあるかもしれませんが
やれなかったことに対して
「怒る」という選択肢はない
と思っています。
やったけれど、成し遂げられなかったときは
どうしたらできるのかを
一緒になってかんがえるだけなんじゃないかと
そのために私たちはいるんじゃないかな。
自閉症の作家
東田直樹さん
私もわからなかった
当事者のこころが垣間見えます
![](https://encourage-toukadai.com/wp/wp-content/uploads/2022/01/41SH09zGDKL.jpg)
つらかったのは、他人の思い込み
できないだろう
理解していないだろう
言えていないから伝わっていないだけの
あれやこれやがどれだけもどかしいだろう
と想像します
出力することは難しくて
大変なことだと、人はあまり意識できていません
同じ間違いをいつも繰り返すとき
「怒る」のではなくて
どうしてなんだろう?と
関心を寄せ
観察することが先生の仕事と心得ています
ささいなことかもしれないけれど
その些細なことが
子供の心にひびくこともあると思うのです
学ぶこと、知ることは
本来子供たちにとって
楽しいことのはずだから
![](https://encourage-toukadai.com/wp/wp-content/uploads/2022/01/22440258-721x1024.png)
学習塾エンカレッジ桃花台
プログラミングコースも学習塾も、
一人ひとりのお子さんの
特性を理解できる場所でありたいと思って
日々向き合っています。