主人の定年近づく。

我が家では、なぜか
家族の内3人の誕生日が
8月後半から9月前半に
固まっております

必然的に、だれか一人に
フォーカスされ
(ま、子供になりますが)

ひとまとめにお祝いな感じ
ですが、今年ばかりは
勝手が違います

主人が還暦を迎えます

と、同時に定年となります

シニア雇用でまだあと
5年は働くと言っていますが

このコロナで社会はきっと
いくらかの影響を受けるでしょうから

5年が約束されたものか
あやしいところではありますが



長い間の労をねぎらって
今年のその日は
何かしようと考えて

いいアイデアはないかと
頭をひねっています

38年位なのかな?
あまりに長くてちょっとはっきりしませんが

東海豪雨の翌日も
途中から湖と化した
田んぼの中を

ゴムボートで会社に向かい
水浸しの事務所で片付けをしたと

子供のように嬉しそうに話し

来る日も来る日も
深夜までの残業で

辞めたくなるような日々も
きっとあったでしょうが

今日まで頑張って
勤め続けております

結婚したとき
仲人を務めて頂いた部長さんに

花束を贈ったあの日から
もう、今度は主人がその日を迎えようとは

人生はあっという間で
光陰は矢の如しです

主人の人生は仕事と共にありましたが
自分の好きな仕事に恵まれていたのでしょうか?

それとも、家族の為に
不本意ながら働いたのでしょうか?

では、女はどうなんでしょう

選ぶ余地なく、母という職業に就き
それは死ぬまで定年を
迎える事はありません

もっとも、主人も父という
定年できない仕事をもちますが

母はどうしても一時期
専任の仕事となります

私たちの若い時代は
トレンドドラマと呼ばれた
人気ドラマでも

ま、いわゆる売れ残りってこと

クリスマスケーキと呼ばれた
25歳を過ぎると
途端に安売りされるような
失礼な事を平気で言えた時代でした

一人の人間としての
社会的な仕事をする
可能性を何も考えず疑わず

子を産み母となる事に
なんの疑問も不満もなかったけれど

今、こうして老後を目の前にして
後悔がないかといえば

人生は一度きりしかないから

それはあります
やってみたかった事

自分を試してみたかった事

確認しないのが花なのでしょうが
そんな事を考えることもあります

まだまだこれから
50代は若いと言ってくださる方も
みえますが、現実はね…
若い頃のようにはいきません

本当はエプロンをして
定年お疲れさまでしたねと

社会の事はよくわかりませんが
家族の為に暖かいお料理と
清潔な家とふかふかのお布団を用意して

サザエさんのふねさんのような
お母さんでいたらよかったのかな・・・

などと、

いかんいかん。
休みはどうも、余計な事を
妄想してしまうなぁ


暑さのせいかなぁ。。。
そうしとこう。。。

コロナで帰省できなかった
孫たちの動画をみて

寂しくなったせいかなぁ

という事にしておきます。

さて、明日からまた仕事
なんも考えず突っ走って仕事してると
気持ちも楽ですね

明日はやくこーーーーーい!

※家賃補助の助成金ですが
 不備として帰ってきました
 家賃契約書に署名捺印がないとか
 だって、うちは公証役場で契約して
 契約書には署名も捺印もないんだよ!
 どうしろっていうんだぁ。
 公証役場にきかなきゃ。。。。役所同士じゃないの!?

 ぼやきでした…

主人の定年近づく。” に対して2件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    女性は結婚により、個人事業主になったと考えるてみるのは、どうでしょうか?(あくまでも、男性目線でもうしわけありませんが)

    男性は外で外で仕事に励み、稼いでくる
    女性は家で定年の無い、家事、育児をする、無給で
    でも、来る日も来る日も、家族の為に尽くす姿勢は
    素晴らしいと思います

    内助の功、という言葉がありますが、
    一家を支えていく事業において、男性も頑張っている、女性も頑張っている、そして家族が笑顔になれる

    僕は素晴らしい、主婦という個人事業主のなせる業ではないでしょうか

    1. 橋本真弓 より:

      コメントありがとうございます

      無給で働く事への抵抗感ではないのです
      無給であるならば、夫が持ち帰る給与は
      夫婦の協力あってのものだという気持ちを忘れないでいてほしい
      それを思うだけです。

      まして、子供をもうけたのならそれは夫婦の背負っていく責任なのですがから
      俺が働いて食べさせてやっているのような心持だけは、もってもらいてたくありません

      私がいっているのはそこではなく、女性にも家事育児という仕事だけでなく
      一人の人間として、さまざまな分野で活躍できる可能性をもった人間として尊重してほしい

      それは自分自身も、夫もという事ですね

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