二人のおばあちゃんについて書きます

365日毎日ブログも信じられない事に
なんと3カ月目に入りました!!!

実は塾長、3行日記でさえ
3日続かないという人です

今までにも何度か日記を買ってきては
見事に空白ページのまま捨てられて
かわいそうなものでした

その私が2カ月以上もブログを
書き続けていられるのはまさに奇跡です

ブログはできるだけ日記にしない
を心掛けてここまで来ました

でも今日はちょっと日記的な感じで
書かせてもらおうかなぁと思います

今日紹介するのは、わたしのふたりのおばあちゃん

一人は実のおばあちゃん
父方の祖母「いと」さんです。
そして、もう一人は
主人のおばあちゃん「な津」さんです

いとばあちゃんは、忙しい父や母にかわって
私と3人の弟妹を育ててくれた
おばあちゃんです

御巣鷹山に日航ジャンボが墜落した
ちょうどあの日に旅立ちました



自宅で息をひきとったおばあちゃん
危篤の時、ずっと飛行機を探して
ニュースが流れ続けていたのを思い出します

働いたことがなく
尋常小学校しか出ていなかったおばあちゃん

両親が共働きで働いていたから
「お母さんやお父さん」を
見かけるのは年にどのくらい?


という感じの我が家で
まさにお母さんの役割をはたしくてくれた
おばあちゃんでした



ある日、小学校で妹が熱を出して
学校からおばあちゃんに迎えに来てほしいと
連絡がはいった事がありました


妹は帰り支度をして玄関横の保健室でまっていると



友達が走ってきて言います
「まなちゃんのおばあちゃん来たよ!」と

見るとリヤカーを引いたおばあちゃんが


運動場を斜めに横断してきていました

電話をもらったおばあちゃん

隣の家でリヤカーを借りてきて
荷台に布団を引いて


町の中を布団を敷き詰めたリヤカーを引きながら
学校までやってきたのでした


妹はさすがにそのリヤカーの布団に
横になったまま帰るのは恥ずかしく


熱がある体でおばあちゃんと一緒に
帰り道を歩き始めました

しばらく行くとおばあちゃんが
「足が痛い」と言い出し


結局妹は リヤカーを引いて
帰りました

当時は、このお話
爆笑ネタとしてみんなに話して
笑い転げていました

でも、今こうしてブログに書いてみたら
なんでだろ


書きながら涙がぽろぽろこぼれてきて
止まりません

女の人が免許をもっているのさえ
めずらしかった時代



孫の病気を学校から聞いて
一生懸命考えて

自転車も乗れないおばあちゃんは

布団に寝かせてやろうと
がんばってくれたんだな


笑ってごめんね
おばあちゃん



お母さんとおばあちゃんは
あんまり仲が良くなくて

子供の私達はそれなりに気を使ってて

いろいろあって東京のおじさんの所に
しばらく行ってたおばあちゃんが
久しぶりに家にかえってきて

しばらくしてから
脳梗塞を起こして寝込みました



ある日、おばあちゃんの寝床から

「さすって欲しい」と声がして

朝まで何度も声が聞こえると
布団のそばまで行ってはさすったけど



さすがに明け方つらくなって
お母さんに代わってもらいにいったら


長い病人になるから
無理しなくていいと諭されて、

次の日呼び続ける
おばあちゃんの声を聴かないように


じっと布団の中にいました

その日がおばあちゃんが声を発した
最後の日でした。


あの時どうして
そばにいってあげなかったんだろう

どんなに寂しかったろう

この日が最後としっていたら
朝までだってさすり続けたのに



私達がお母さんやお父さんがいなくて
寂しい時もずっとそばにいてくれた
おばあちゃん。

わがまま聞いてくれたおばあちゃん

この日の後悔はずっと心にあります



その私が、嫁いだ先には
主人のおばあちゃんが健在でした

な津おばあちゃん
すごくできるおばあちゃんで

パーキンソン病で手が震えてるのに
ちゃんと針に糸が通りました



お料理も上手で、おからの炊き方を
教えてもらって得意料理になりました

お正月のおせち料理の昆布巻きは
実家の味付けでなく

な津おばあちゃんに教えてもらって
ニシンを巻いてつくるようになりました



今でもお正月にはかかせないメニューで
いつもたくさん作るのにすぐになくなっちゃいます

本当はツッコミどころ満載の私の家事にも
いつも優しい笑顔で嫌な事もいわずに
見守ってくれたおばあちゃん



な津おばあちゃんもお義母さんとは
あまり折り合い良くなくて

いつのころからか孫の私達の家に
月曜から金曜まで
お泊りしていくようになりました


でも嫌じゃなかったな
妊娠して長男を生むときも


おばあちゃんがいてくれてよかった

新生児の息子をお風呂にいれていると
バスタオルをもって受けとりにきてくれるけど


赤ちゃんをくるんだバスタオルを運ぶ手が
もう、ぶるぶる震えてて

リビングにたどり着くまで
後ろから心配で心配でしかたなかったな


でも一度も落としたりしたことなかった

インスタントラーメンをおひるごはんに出した時


「まみちゃん、これすごーく美味しい
 美味しいけど、ばあちゃんこれ二度と食べたくないな」
って笑顔で言ったおばあちゃん



思わず笑い転げてしまった私

「いと」ばあちゃんに孝行できなかった私は
「な津」ばあちゃんに代わりに恩返ししようとしたけど



結局お世話になっただけだったな

「な津」ばあちゃんは死んだおじいちゃんが
大好きでおじいちゃんの話をするときは
とってもかわいいおばあちゃんだった

私達が小牧へ引っ越してくるとき
もう、お泊りできなくなって寂しそうだった

老人用の乳母車を引きながら
自宅への帰り道を行く途中

振り返って
「まみちゃん、お世話になったねぇ」って


寂しそうな笑顔の「な津」ばあちゃんの顔
わすれない。ほんと、大好きだった

亡くなる前に転んで寝込んだ事があったけど

80歳すぎてたから、みんなが
もう立てなくなるねと心配したけど

お見舞いに行くたびに
ズリばいして、はいはいして

つかまり立ちして、
まるで赤ちゃんが成長するみたいに

がんばって、歩けるようになった
「な津」ばあちゃん


「ばあちゃん、がんばったね」と声をかけると

にっこり笑って「がんばったよぉ~」
と得意げに言ったおばあちゃん


二人で大笑いしたね

結局、「な津」ばあちゃんの旅立つ時は

「いと」ばあちゃんのような寂しい思いは
絶対させないと決めてたのに

入院して病院にいたから、
意識のある内には間に合わなかった




「な津」ばあちゃんは、自分の死んだときの
用意を全部してあった

納棺にきた人が感心するくらいに
草履まで用意してあった

最後まで立派なおばあちゃんだったね

その時、わかった事がある

きっと恩返しってできない。
かなわない事なんだって


だから、私達にできる事は恩送り
次の世代に送っていく事


PowerAppsのコミュニティで
よくつかわれる言葉「恩送り」

「いと」ばあちゃん と 「な津」ばあちゃん
大好きな二人のおばあちゃん

もうね、ごめんねは言わないよ



そのかわりに ありがとう
ほんとにほんとに ありがとう

私も孫たちに、大好きなおばあちゃんと
思ってもらえるようなおばあちゃんになるからね

恩送りしていくからね!


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